【絆】土屋利紀の肖像
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一九九六年の一月十四日の地元紙「宮崎日日新聞」はこういった見出しで、毅明のオリンピック出場を伝えている。そのニュースのリlドはこうだ。〈七月にあるアトランタ五輪総合馬術競技に、宮崎市出身の土屋毅明(二十五歳〉の出場がほぼ内定し、五月にも正式決定される見通しだ。本県から同競技への出場は初めて〉日本オリンピック委員会の認定証が残っている。「あなたを第お回オリンピック競技大会日本代表選手として認定いたします地元では土屋毅明選手後援会が実行委員会形式で立ち上がり、委員長(団長)には美術家の立山周平が名乗り出た。二十八人の応援団がアトランタに向かった。立山は言う。「現地の宿泊がアトランタから離れたところで、三時間しか眠る時聞がない、強行軍でした。馬術競技は紳士のスポーツなので、競技中はあまり大きな声が出せない。それでも『タケアキl』の声援を送り、1996年6月お日」第三章アトランタオリンピックで宮崎からの応援団と共に85 馬上編,'\

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