【絆】土屋利紀の肖像
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「陸上短距離の選手としてオリンピックに出場したかった」毅明は休日には毎日、綾町の乗馬クラブに練習に行った。三カ月後の競技会では優勝するまでになった。ただし、五百円は一度ももらっていない。馬にニンジン、いや、馬に五百円ではなかった。馬術競技のおもしろさに目覚めた。「競技会で良い成績を収めるために続けていこうと思いました」当時は利紀も事業拡大などで忙しかった。「私が子どもの頃、父は家に帰って来てはいるのですが、時間帯が合わず週に一度顔を見るかどうかで、月に一度しか会わないこともよくありました」利紀の子どもたちは中学三年になると家族会議で将来の進路を決定する。その場で毅明は誓った。「乗馬でオリンピックを目指す」利紀は息子たちに「医者になれ」とは一言も言わなかった。第三章馬上編ア卜ランタオリンピック(1996年)に出場した毅明(左)83 S1i『て\玄\

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