利紀は沖田に約束した通り、一九六九(昭和四十四)年七庁、宮崎市に進出する。大口の眼科は、きどき手伝いに来ていた弟の利史(故人)、そして現在、その息子(英明)が引き継いでいる。利紀が大口での開業時代、パフォーマンス的な手法で繁盛させた、というのは一面に過ぎない。はない。芯ではない。利紀は繰り返し、さまざまな場で語っている。「いつ、患者が来ても診る。友人の辻徹哉は、親子三人で利紀の大口の家に遊びに行ったことがある。「一緒に食事をしていると、患者さんから呼び出しがあり、家に出かけました」患者本位の医の倫理。明会の綱領でもある。断ることはない」これは父、勇満の教えであり、利紀の哲学であり、食事中にもかかわらず、現在も引き継がれている慶急いで患者さんの軸でと64
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