【絆】土屋利紀の肖像
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「病院をさらに大きくしたいから、一緒にやろう」その次の利紀の言葉が殺し文句だった。ご年後に宮崎に進出する」具体的に大口から出ることへの誘いだった。「会長(利紀)は野心家で、医者だけで納まる人ではなかった。夢を語るだけでなく、それを具現化する人だった」現在、職員では最長老の沖田は、大口時代から利紀と苦楽を共にするが、利紀像についてこのように評した。面接のときにその像の一端を垣間見て、人生を掛けたかもしれない。沖田は右足が少し不自由だ。利紀はもちろん、沖田に才を発見したから雇用した。現在、障害者雇用の問題がクローズアップされているが、この点から見ても利紀の社会的視野の広がりをうかがい知ることができる。交流の深かった大学時代の同級生、末藤は利紀について、このように一言で表現している。「時代を先取りする男だった」第二章グループ内最古参の沖田一行(2018年)63 立志編

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