【絆】土屋利紀の肖像
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このように白内障の手術は患者にとってわかりやすかった。世界が変わるのだ。眼科も結膜炎などを診療する「レッドアイ」の時代から、白内障などの手術を行う「ホワイトアイ」の時代に移行しつつあった。「手術のうまさもありましたが、演出も上手でした。手術を家族や患者にもオープンにしていました」こう語るのは大口時代に医療事務担当として採用された沖田一行(六十九歳)H現・社会福祉法人慶明会理事長Hである。沖田は利紀の大口高校の後輩で、恩師が同じだった。「医療事務の人がどんどん辞めるので、長続きする人材はいませんか」利紀は恩師に相談した。恩師は沖田に伝えた。「眼科が職員を募集している」沖田は一応、面接に行った。一応というのはすでに大阪で就職が内定していた。「大阪で働いて海外留学をしようと思っていました。とにかく、大口を出たかった」宮崎の土屋眼科医院時代、沖田一行(中央)と62

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