「地元の医師会から反対されて承認というか、許可がない。医師会のハンコがないと金融公庫から借りることはできない。ハンコは押せないが、来るのは勝手だ、と言われた。そこで声をかけてくれたのが鹿児島銀行でした」一千七百万円を借りた。建築業者に言った。「お金がないので坪単価七、八万円くらいで作ってくれ」「それじゃ、長く持ちませんよ」「十年持てばいいから」敷地五百二十坪、「そんなに大きな病院とは思わなかったが、眼科でそんなに大きいと一生かかって借金を返せるのかと言われた」周辺の陰口も耳に入った。道路沿いにドアがあったので、ほこりが入ってくる。夏は冷房がないのに、閉めておかなくてはいけなかった。「当時、原田一道(現・慶明グループ会長)がときどき手伝いに来てくれていましたが、汗っかきなので、冷房を付けてくれとよく頼まれました」こうした苦難の一歩だった。当時の「国保診療報酬総括票」を見ると開業翌月(六月)は入院一人、外来百十九人だ。「五百万円もあるのか、と思ったら、一ケタ少ない五十万円でした」ただ、急速に患者数を伸ばしていることがわかる。木造平屋建て。居宅三十九坪、診療所三十五坪、病室五十六坪、炊事室二十一坪:・。60
元のページ ../index.html#66