温度はなかった。多恵子は京都の女子短期大学時代、実習で解剖を見て驚いたことがあった。多恵子は福市にこう語っている。「絶対に、医者には嫁に行かない。商売人と結婚する」商売人。多恵子は一九五六(昭和三十一)年に開庖する都城のデパート家の一族だった。多恵子の父、菊蔵は当時大丸代表だった福一の弟だった。つまり、多恵子は代表の姪にあたる。福一夫妻には子どもがいなかっただけに、多恵子を養子のように可愛がった。多恵子が中学三年生のときには、京都の仕入れの現場にもつれて行ったりした。それは経営の帝王学を学ばせるためだった。多恵子が「商売人と結婚する」と言ったのにはこういう環境が下地にあったからだ。二人の温度差を縮めるために、利紀は懐柔策も福市たちに講じている。鹿児島から多恵子の家へ遊びに行くたびに、お土産を持ってきた。福市は語る。「当時、都城には珍しいケーキやパlカlのボールペンを買ってきてくれました」大人たちの宴会に出て酔っていても、その後、福市たちと一緒にトランプのポーカーにもつきあった。福市は笑いながら言った。「半ば居眠りしながらトランプのカlドを切っていたこともありました。を読め』と言っていましたね」一九六三年五月十四日に結婚、入籍した。その年の十一月に長男の広明が誕生している。少しスピード違反的な出産だが、それだけ、愛を深めていった証でもあった。その結び付きは単に結婚だけでなく、医療+経営という最強コンビの誕生でもあった。「都城大丸」を経営する大浦トランプをしながら『人の心第二章立志編57
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