【絆】土屋利紀の肖像
61/229

土屋利紀は久留米大学を卒業後、鹿児島大学の眼科の医局に入った。「教授から久留米大学で、と引き留められたが、故郷の鹿児島で患者を診たい」利紀はこう思って、一年後に入学してきた弟の利史を久留米大学の医局に残した。鹿児島大学の医局は教授、助教授以下六人のスタッフで、利紀は新入りだった。朝は講義後の黒板拭きから始まって予診、午後には教授の手術を手伝い、夜には当直が待っている。息つく暇もなかった。「忙しい以外、いい思い出はない」こう語るほど忙殺された。インターンの一年間は無給、二年目からは一万三千八百円で、五年目には二万三千円。医局には栗野町から車で一時間半くらいかけて月半分は通っていた。残り半分は寝るだけの、月二万円の小さな部屋を借りて当直明けの、つかの間の休憩をとった。「医局を辞めたのは給料が安かったことも原因です」この医局時代、人生最大のドラマがあった。結婚である。鹿児島大学医局時代第二章立志、編55

元のページ  ../index.html#61

このブックを見る