【絆】土屋利紀の肖像
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「十七、八人」と記憶している。卒業式の翌日に再試があり、不可組も無事に卒業できた。利紀は、講義はよく代返を友人に頼んでいたが、精神科の講義には熱心に顔を出した。「高校時代はあの世の世界があると思っていたし、そこと交信できれば、などとその手の本はよく読んでいました。そんな話をするので、教授はおもしろいヤツと私のことを思っていたようです。本当に精神科医になろうとも考えていました」ただ、この日の「三五朗会」の出席者の多くは、利紀の久留米時代についての印象は意外と薄かった。「物静かで目立たない存在でした」その中で、同じ医学部の野球部にいた平野英輔(外科)は、いくつかのエピソードを語った。「新人募集」。平野は医学部の売盾に張られたチラシを見た。三人が集まった。そのうちの二人が利紀と平野だった。利紀はサlド、平野はキャッチャーの補欠だった。久留米大学医学部の野球部(利紀、前列右から2番目)52

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