【絆】土屋利紀の肖像
44/229

「栗野にできるヤツがいる」一年一組で同級生になる住吉昭信(元宮崎大学学長)も中学時代にその噂は耳にしていた。住吉は菱刈の中学校だった。秀才同士、すぐに仲良くなり、利紀は時折、放課後、住吉の家で遊ぶこともあった。「勉強もできたが、運動もよくできた。野球部に入り、サードを守っていた」住吉は、利紀を文武両道の高校生だったことをしっかりと記憶している。利紀と住吉が卒業後、再会するのは野球がきっかけになる。住吉は遺伝の興味から医学への道をぼんやりと考えていたが、利紀は自らの進むべき道を住吉に明確に伝えていた。「家は眼科医なので、俺も将来は眼科医になる」中学時代まで「実業家か政治家になる」とも話していた。政治家は、父の勇満が町会議員だった影響もある。利紀がよく周辺に語っていた話がある。「学校で模擬の町長選があり、それに立候補して当選した。公約の一つに高齢者が住みやすい町にする、と掲げた」さまざまな人生の選択肢を考えていたが、高校の頃にはすでに照準が定まっていた。利紀の長男の広明は薩摩の風土についてこのように語った。「長男は跡目を継ぐ。土地から離れない」「跡目を継ぐ」は守るが、鹿児島の「土地から離れない」は守らなかった。38

元のページ  ../index.html#44

このブックを見る