【絆】土屋利紀の肖像
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鹿児島県姶良郡湧水町の山下涼子(七十九歳)はJR肥薩線の栗野駅近くに住んでいる。「その家の前を通るときは立ち止まって必ず『ありがとうございました』と今でも頭を下げます」涼子が涙ぐみながら口にするその家は、利紀の父、勇満が一九二七(昭和二)年に開業した「土屋眼科」があった所だ。涼子の家からほど近いが、現在、そこには別の持ち主の新しい家が建ち、まったく昔の面影はない。涼子は十六歳から二十歳まで土屋眼科で看護助手として働いた。涼子は頭を下げながら約六十年前の、当時の土屋眼科の作まいを思い浮かべる。には窓があり、そこから利紀の弟妹や患者の家族はまるでインターン生のように見ることができた。手術は白内障が多かった。当時、手術する眼科医は少なく、地元の栗野町だけでなく、宮崎県の都城や小林などからも患者がやってきた。手術を終えた患者は七つ、八つに仕切られた長屋風な病棟に移された。11立派な門構えから入ると、八畳ほどの待合室があり、その奥には処置室、手術室がある。手術室父勇満第一章青雲編25

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