屋熊次郎とワリから始まっていることだ。土屋家は薩摩藩の士族、つまり侍だった。辿ることができる範囲で、利紀が書き込まなかった熊次郎以前の土屋家の流れを整理してみた。土屋家の起点の入来町は現在でも武家屋敷が残っている。熊次郎の父親の名前は土屋十左衛門、その先代は十右衛門。十左衛門は江戸末期の文政九(一八二六)年十二月十日生まれである。土屋十右衛門||十左衛門||熊次郎||勇満||利紀。これが利紀まで流れる土屋家の直系五代の家譜である。政九年は、西郷隆盛が生まれる前年だ。西郷と同じ武士である十左衛門も幕末、明治維新、そして明治十年の、政府軍対西郷軍の戦いである西南戦争といった激動の歴史を歩むことになる。熊次郎が生まれたのは西南戦争が始まる二年前のことだ。熊次郎の人生の大きな転機は入来町の自宅の火災だった。利紀の姉、和子はかすかな記憶をたぐり寄せながら言った。「火事に遭って、地元の有力者が奄美大島に行くのを勧めたそうです」西郷隆盛は政治犯として奄美へ流刑となるが、熊次郎は火事の痛手から土屋家を再興するために奄美こ渡った。武士の時代は終わり、熊次郎は手先が器用で、金歯などを入れるのがうまい歯の技工士をしていた。当時、奄美では腕のいい歯の技工士は少なかった。熊次郎の子どもは男三人、女四人。利紀の父である勇満は明治三十三年十二月十二日生まれ。長男だった。和子は続けて話した。利紀の曽祖父にあたる十左衛門が生まれた文第一章青雲編23
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