土屋利紀の故郷は父、勇満が開業した土地、鹿児島県栗野町である。ただ、土屋家の源流は栗野町ではない。栗野町から三十五キロ離れた鹿児島県入来町だ。利紀の思想や哲学を考える上で、入来町は重要なキーワードだ。利紀は四、五年前に土屋家の簡単な家系図を手書きしている。兄弟、孫の代まで記され、そのうち六人の名前の横には赤字で「(眼科医)」と印されている。「後々のために書き残しておきたかった」利紀はこう語っている。家系図を作る動機に潜むものは成功者の栄光と自信である。もちろん、自分の出自と来歴の確認作業でもある。と同時に家族への強い愛が背景にあることは言うまでもない。「家族思いでした。入院中のベッドの横にいつも置いていたのは家族写真でした」利紀より十歳下の妹、原田弘子はこう話した。その写真には総勢二十二人が映り込み、一人一人の名前が横に手書きされ、家系図と重なり合う。ただ、一点だけ違うのは利紀が書いた家系図は祖父母、土薩摩士族22
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