紀にとって宇宙、自然界の気やエネルギーをもらう神木だった。「枯れた枝を見るのは嫌いだ。早く枝を取り除いてくれ」利紀夫妻の側近で、現在、庭を管理している畦地康代(七十歳)によく指示した。ヤマモモは枯れた、老いた姿ではなく、いつもエネルギーに満ちた常緑樹でなければいけなかった。「元気で百(歳)までピンピンコロリ」利紀は講演会などでもこの言葉をよく使った。庭のヤマモモの木の年輪は百年を超える。利紀は自分の人生を百年の壮大なスケールで構想していた。朝、静かに対話するヤマモモは長年の友であり、同志であり、そして利紀の化身でもあったといえる。ヤマモモが年輪を一つ一つ広げたように、利紀も確実に深く、濃く、時を刻んできた。町の眼科医から約千人の医療・福祉グループをはり、枝葉を広げてきたのだ。七十歳になって、たくわえ始めたあごの白ひげをなぜながら、目の前のヤマモモに問う。〈よく遊び、よく学んできたが、もうそろそろ迎えが来て、多恵子のところに行けるかな。まだまだ、やりたいこともある。オレ、がんばってきたよね〉ヤマモモが答える。〈がんばってきました。紀ちゃん、あなたはずっと夢を追い、それを実現してきました。人、患者も大事にしてきました。少し、休んではどうですか〉利紀が二O一七年十一月十四日、八十三歳で、多恵子の元に旅立つにはまだ少しの時間が残されていた。りり「慶明会」を一代で築き上げた。ヤマモモの木と同じく宮崎の大地に根第一章青雲編19
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