家の方が出て来てくださって、一緒に家の中に入れていただき、憶がある。小学校に上がってからもよく遊んでもらった。数は多くなかったけれど、釣りを教えてもらったり、お風呂の中でシュノlケルの使い方を教えてくれたり、キャッチボールをしてくれたり、とても子煩悩であった。また、家族の紳をとても大事にした父だったと思う。小学生時代は、久留米大学の同級生で設立した「太平洋医学会」のメンバーのご家族と一緒に、毎年、別府の温泉に旅行したのがとても懐かしく感じられる。父は教育者としてたいへん厳しい人であった。「他人様に迷惑をかけるようなことはするな」「嘘はつくな」。たら、鬼のような形相で叱られた。その一方で、父としての土屋利紀は子どもたちにはとても甘かった。自分たちが決めたことに関してはすべて認めてもらえたし、中学時代、親に大迷惑をかけたときでも何事もなかったかのように接してくれた。僕は高校から県外の全寮制の高校に進学したため、両親と一緒に暮らしたのは中学校を卒業するまでの十五年間であった。それから宮崎に戻って来るまでの二十年間は離れて暮らしていたが、帰省するたびに一緒に酒を飲みながらいろいろなアドバイスをしてもらった。特にこのこつの教訓に関しては徹底して厳しかった。教訓に反したことをしてしまっお茶とお菓子をいただいた記「遊あとがき219
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