【絆】土屋利紀の肖像
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民ドhJ市八日rゴプベ木UA感動し(略)心と体を鍛え、さらば!そういう人生を送りたい」多恵子を失った痛手から必死に自分を鼓舞し、前向きに生きようとする文言を散りばめている。が逆に、、孤独感を一層際立たせている。を閉じるのは、利紀夫妻がいなくなった自宅の庭は荒れることなく手入れが行き届いている。毎週土曜日になると木村美鈴、畦地康代、河野早苗がトリオになって掃除などをしている。三人にとっては週一回の「利紀を偲ぶ会」でもある。鹿児島県栗野町から利紀の友だったヤマモモの巨木も「三人娘」の声を聞くのを楽しみにしている。風に乗っておしゃべりが切れ切れに聞こえてくる。「先生(利紀)が宮崎大学付属病院に入院したとき、よくお世話にいったよね」「そうそう、三人で世話しているとき、そこのドクターが私たちに聞いたことがあったね。覚えている?」「うん、『どういう関係か』ってね」「私たちの王子様、って答えたらドクターはきょとんとしていた」「そうね。最近あまり、慶明グループでも先生の話が出なくなった。先生が最大のブランドであったの「先生はまだ、人生の終わりまで心身共に若々しく歩き続け、多恵子が死去した二年後だった。やり残したことがあったと思う。利紀、多恵子の残像を映しながら追うように、口惜しかったら(空から)今でも降りて来い」時至れば、潔くあの世へお利紀が永遠に目それ4第六章福祉編171

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