利紀は旅人だった。五十カ国近くを巡っている。観光、乗馬だけでなく、そこには現地の医療事情などを視察する目的もあった。宮崎県の「美郷町国民健康保険西郷病院」の総院長、金丸吉昌(六十四歳)と一緒にプlタンを旅したのは二O一四年六月である。「プlタンは世界一幸福な国と言われる。その実体をこの目で確かめたい」旅の途中、思わぬアクシデントがあった。突然、利紀が腹痛、幅吐、下血などの症状に襲われた。「現地の酒を飲みすぎたための十二指腸腫療と判断しました。破れれば命の危険もある」こう診断した金丸は利紀を安静にしたまま日本に帰って治療する、という方法を選択した。急いで帰国して、「けいめい記念病院」で治療、利紀は九死に一生を得た。その問、口にしていたのはミルクだけだった。こうしたエピソード付きの旅になったが、利紀がプlタンを通して求めようとしたのは物質至上主義、経済至上主義への疑問を解くヒントだった。それを医療に換言すれば、物質至上主義は西洋医学至上主統合医療への挑戦第六章福祉編165
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