長男の広明が語るように、多恵子あっての利紀であり、利紀あつての多恵子だった。一枚のコインの裏表である。特に多恵子はグループの財布、つまり財務を担っていた。利紀は挨拶の中で、社会福祉法人発足への尽力を強調している。法人の第一歩で、慶明グループの福祉事業の核である「さくら苑」の開設は予想以上に困難が伴った。二人は園、県、市、町に何度も相談に行った。「三億五千万円くらいの工事費を全部、国が出してくれると思っていたんですが、自己資金はいくらかと聞かれ、資金がないと許可できないと言われました。開業十五年くらいであまりお金のない時だった」当てが外れた利紀は多恵子に相談した。「なんとかしてくれんか」多恵子は四千五百万円を捻出し、利紀に差し出した。それを資金にしてなんとか施設をスタートさせることができた。「苦労したことを私は言うだけなんですが、それを多恵子が取り仕切ってやってくれました」文字通り、多恵子は「創設者」で、「さくら苑」の初代施設長に就任している。事業の展開には常に資金繰りがついて回る。多恵子の胸像から目と鼻の先には、二OO五(平成十七)年に開業した「けいめい記念病院」がある。眼科をはじめ、内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、リウマチ科、整形外科、リハビリテーション科、脳神経外科、耳鼻咽喉科をそろえている。この病院建設も利紀の夢の一つであった。「福祉施設を造りましたが、利用者が病気をされたり、急に骨折されたりしたときに宮崎市内へ紹介するには場所が遠かったりということがあって、利用者の要望もあって造りました」言い換えれば銀行との戦いでもあった。162
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