【絆】土屋利紀の肖像
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土屋利紀の歌の十八番は「男の背中」(歌・増位山太志郎)だった。〈男の肩と背中にはむかしの影がゆれている恋も涙も悲しみもだれにも言えない傷あとも・:〉利紀にとって「男の背中」は父の勇満だった。背中は言葉より雄弁だった。「いつでも患者を診る」利紀は勇満の背中を見ながら育ち、眼科医の姿勢、あるべき姿を学んだ。その勇満が八十一歳で死去するのは一九八一(昭和五十六)年の一月十九目だった。利紀が宮崎へ進出した後、勇満は鹿児島県栗野町の眼科医院を閉めて、六十五歳で出て来た。「加勢してもらっていた」利紀が言うように宮崎の土屋眼科医院を手伝っていた。「父は開業してから三百六十五日、休むことはなく、夜も急患があると診ていました。運動会のときにも少し顔を出したら、病院へ戻っていました」父の死を超えて156

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