【絆】土屋利紀の肖像
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〈日々の出会いを大切に〉利紀に、立山が言うような「パトロン」的な意識はなかったかもしれない。〈真の友人〉〈日々の出会い〉といった言葉の延長線上の交友ともいえる。立山は「さくら苑」の壁画制作について次のように語る。「僕自身のステップになった。初めて大きなパブリックな仕事でしたので、その後の仕事の道筋をつけられました」利紀にとってもな転機になる展開だった。医療だけでなく、社会福祉事業へ。一九八三(昭和五十八)年、社会福祉法人「慶明会」を設立した。利紀、五十六歳の新しい旅立ちだった。「さくら苑」は福祉法人として最初の一歩だった。福祉法人の名前である慶明会の「慶明」は利紀の別名である。読みは「よしあき」。秘書だった出「さくら苑」は立山以上に大きさくら苑(1995年1月)154

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