二O一六年夏、立山が仕事でオーストリアのウィーンに滞在していたとき、利紀が突然、遊びに来た。立山は利紀について一言で要約した。日本ではパトロンという言葉には、ネガティブなイメージがある。欧州では、レオナルド・ダ・ヴインチ、ミケランジェロ、シェイクスピアなどを引き合いに出すまでもなく、王室、貴族、教会、パトロンは文化の擁護者ともいえる。「宮崎の文化を守り、育てていきたい」パトロンになることは、利紀の社会還元の一つであった。立山は利紀が支援した芸術家の一人だった。「あんたと旅するのはこれが最後かもしれないな」一緒に笑顔で観光をしている時、利紀の胸像制作の依頼を受けた。その胸像は宮崎中央眼科病院の入口近くに設置され、病院を見守っている。「先生は人にやさしい人だった。写真を見ながらの制作でしたが、思いました」利紀は、人生訓として「他人に対して」どうあるべきか、を書き残している。〈聞く耳を持て〉〈人には親切にしろ〉〈「ノl」と言える勇気を持つ〉〈真の友人を作ろう〉資産家などが音楽家、美術家などを経済的、精神的に支えた伝統がある。ふと漏らした言葉が立山の頭に残っている。利紀の死去後、立山は『人間土屋』の表情を出せれば、第六章福祉編と153
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