宮崎県東諸県郡国富町に、慶明グループの特別養護老人ホlム一「さ九く八ら苑四」(が昭ある和。五十九)年に開設した。玄関を入ると、左手に大きな壁画ある。国富町にアトリエを構える美術家、立山周平(七十四歳)が制作した。「さくら苑」の設計家が立山の友人で、その縁からの仕事だった。それまで利紀と立山は面識がなく、この壁画制作が二人を結びつけた。その後、利紀が物心両面で立山を支援し始めるきっかけとなったのは、利紀の二男、毅明が馬術種目で一九九六年のアトランタオリンピックに出場したときだ。立山も地元応援団の団長として現地に飛んだ。日本代表選手団とその関係者はアトランタの日航ホテルに宿泊した。ホテルには立山の日本画があった。それを観た利紀から別のホテルに泊まっている立山に電話が入った。「あんた、本当に絵描きだったんだな、と言われた。このとき、僕を認めてくれたんだなと思いました」利紀の自宅には今も立山の作品が多く残り、その交友を示している。「僕のパトロンでした」慶明会とさくら苑152
元のページ ../index.html#158