【絆】土屋利紀の肖像
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土屋利紀が少年の頃から精神世界に興味を持っていたことはこれまでに触れている。久留米大学時代、眼科を選択した理由についてこのように語っている。「眼科医というのは守備範囲が広い。内臓の問題や心の問題も含めて、全部わからないとやれない科だということがわかった」「心と目」「ストレスと目」の関係について早くから関心を持っていた。一九六九(昭和四十四)年、宮崎市に土屋眼科医院を開業してまもなく、有機リン農薬と眼疾患の因果関係について研究し、学会で発表した。その問診の中に、すでに次の現代的なテlマも隠れていた。「社会不安や家庭不和、勉強嫌いの子どもたちに心因性の視聴覚障害が少なくない」目自体に異常はないのに、目がよく見えない。このことに気づいた利紀は宮崎大学の教育学部教授の高山巌たちと共同研究を始めた。その成果を一九八九年三月のの冊子には利紀、高山のほか、共同調査、研究者として原田一道、大浦福市など「宮崎中央眼科病院」「眼科臨床医報会」で報告している。そ心因性視覚障害138

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