【絆】土屋利紀の肖像
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利紀は宮崎に進出してまもなく、日々の診療の中である異変を感じ取っていた。「原因不明の視力障害を持つ子どもさんたちが何人かいたので、これはおかしいと思い探っていきましたら、有機リン中毒に行き当たりました」専門の調査、「開業医にとって種々の機器の設備はなく、近くに大学医学部がない地方では有機リンの慢性中毒症の診断は非常につけにくいと考えていた」参考にしたのは石川たちが示した診断基準である。利紀は、調査対象をハウス栽培従事者を含む農家にまで広げ、健康診断も実施した。「その頃、宮崎は日本で一番、農薬を使っていた県だったんです」利紀は宮崎の風土にも注目した。「宮崎地方は気候的な条件もあり、佐久地方よりも長期間多量の有機リン剤を使用していました。効果のある薬はわかっていましたから、それを使ってだいぶよくなりました」開業医として地域医療に貢献した。学会での発表について、県から「あまり、公に言わないように」とクレームがあったことも話している。地道な研究、努力によって農薬問題は前進した。利紀はこれを受けて次のように語っている。「今は、宮崎県は日本で一番、農薬のチェック機能が充実していますから、低農薬でおいしい宮崎の野菜や果物を安心して食べてください」開業医のこうした取り組みについては研究チlムではなく、地方の小さな開業医の取り組みである。困難はあった。「立派な眼科医」として評価されている。これに原田一道は付第五掌133 学術編

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