【絆】土屋利紀の肖像
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M&Aと言っても、将来の経営を心配した病院側「うちの手術室を使って広瀬眼科の患者さんの手術をしたこともありました」こういったバックアップ体制で、広瀬眼科を継続させた。一九九五(平成七)年に晶一の妻が医院長になり、晶一は平成十四年に戻ってきた。亀井は二O一八年の同窓会「三五朗会」に出席、利紀について語った。「自分のところで精一杯なのに、こういうことができるものだ、と感心したことがあります」このサテライト経験などもあって一九九五年、宮崎に「生目クリニック」を開設した。その成功からM&A(合併と買収)に発展し、おび中央病院などを次々とグループに加えていった。ただ、から利紀の人柄と経営力を頼ってきた。利紀の度量の深さと人情の厚さから受け止めたものだった。広瀬眼科130

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