【絆】土屋利紀の肖像
133/229

「まずは、准看の資格を取れ。医療や薬などを学んでこい。二年間、遊んでこい」牧野は驚いた。「大学四年行って、また、学校に行くのか。なんで?」宮崎市郡医師会の看護学校に通った。ニクラス九十人のうち男は六人。午前中、眼科での視力や眼圧などの検査をして、午後から学校へ。資格を無事に取った。看護師になるのかと思ったら、次の異動は医事科だった。ここで、「病院の収入の源泉は受け付けにある」患者の保険請求が病院の源泉である。一人一人のレセプト(診察報酬明細書)を作成、チェックする。多い月はレセプトが六千枚にのぼることもあった。牧野はそのレセプトから土屋眼科の右肩上がりの成長に目を見張った。「駐車場に車が入りきれなく、並ぶ状態でした。待ち時間が長いというのも有名でした」駐車場をさらに確保するために、病院の裏にあったうどん屋を買収する。それに一役買ったのが利紀の友人で、不動産業の前村幸夫である。「うどん屋の建物をそのままクレーンで釣り上げ、病院の屋上に置きました。カルテ置きなどにしました」こう言う牧野には利紀から学んだ人生論がある。「二十代のときはなんでもやれ」「三十代はスペシャリストになれ」「四十代はオリジナルを考えよ」七年間、医療事務に携わった。第四章まft飛編127

元のページ  ../index.html#133

このブックを見る