【絆】土屋利紀の肖像
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一方で、外部の新しい人材にも門戸を広げている。その一人が牧野剛H現・慶明会常務理事Hだ。牧野は宮崎県日向市生まれ。福岡大学へ進学、卒業後の進路は決めていた。「営業マンになりたい」就職難の時代で二十六社を受けた。失敗し、宮崎市の職業安定所で求人案内を見た。「総合職一人」地元に帰りたいとの思いがあった。試験当日、十二人が入社試験を受けた。一般常識の筆記に面接だった。面接をしたのは利紀など幹部三人だった。「なにをしたいか」こう問われた牧野は答えた。「営業をしたい」「病院に営業なんてあるか」笑いが起こった。ただ、利紀だけが笑っていなかった。その夜、人事担当の畦地勝郎から電話が入った。「ほかにいい者もいたが、理事長(利紀)が明日、来いって言っている」大卒の新規採用の第一号として、牧野が入ってきた。一九八三(昭和五十八)年のことだ。利紀はなぜ、大卒の新規採用を始めたのか。牧野はこう理解している。「生え抜きのスタッフを育成したかったことと、どのくらいの受験生が集まるのか知りたかったのではないか」配属先は?利紀は言った。126

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