【絆】土屋利紀の肖像
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Luwナト、ヲ』。出入りしていた。一道は中学時代に利紀と出会っている。「一道には高校時代に眼科医になれ、した」一道は両親が外科系の血筋だったので、外科医になろうと思っていた。鹿児島大学の医局時代も考えは変わらなかった。しかし、利紀は諦めずに、口説き続けた。「眼科でも手術はできる」「妹(弘子)を嫁にやるから」それは『三国志」の中で、諸葛亮を軍師に迎えるための「三顧の礼」にも似ていた。一道は弘子と結婚し、十年の医局生活を経て一九七六(昭和五十一)年に医院に入ってくる。「彼(一道)は勉強が好き。手術が好き。ただ、少し堅いところがある。もう少し柔らかければいいのに。とにかく、真面目でした」利紀はこのように語っている。一道も汎耕の家によく顔を出して一九八三年には妻と言っていま網膜剥離手術(原因一道先生執刀)。当時、民間施設では稀有な手術であった(1976年)124

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