【絆】土屋利紀の肖像
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土屋利紀は一九七九(昭和五十四)年に、土屋眼科医院を全面改築して、「宮崎中央眼科病院」を開業した。鉄筋四階建ての、五十八床もある病院である。「五十八床もある眼科病院は当時では日本で一番大きかった。中央からも視察にきたこともあった。大きければいいというもんじゃないが、多様な検査もできる」鹿児島県の栗野の町の診療所から宮崎に進出し、ベッド数では日本一の病院に雄飛した。もちろん、それに合うだけの複数の医師、スタッフをそろえなくてはいけない。利紀は一人だけの医院に不安を抱えていた。ご人でやっていて倒れると医院が終わり、従業員も路頭に迷うことになる。グループを大きくするには、三代かませなくてはいけない」利紀が「核になる人材」として呼ぶのは、原田一道H現・慶明グループ会長Hである。原田は利紀の妹、弘子の夫である。一道は利紀の姉、和子の夫で外科医の牧田汎耕の甥にあたる。利紀は汎耕の家に宮崎中央眼科病院第四章雄飛編123

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