【絆】土屋利紀の肖像
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へ九州大学から教授として赴任してきた。高校卒業後は音信はなく、る。それは九州大学医学部と久留米大学医学部の野球部対抗戦だった。「応援合戦で負けられないから来てくれ」住吉は頼まれてスタンドに行った。そこで相手チームに利紀がいることを見つけた。住吉は高校時代、野球部で練習する利紀の姿を何度も見ていた。「おーい、土屋」大きな戸を掛けた。すると、土屋もこちらを認めて駆け寄ってきた。「やっぱり、住吉は九州大学に進んでいたんだ」再会する宮崎の地は互いに人生のタlニングポイントとしての場だった。住吉は自著「克己」の中で、利紀との再会シlンをこのように描出している。「眼科の院長が土屋先生という名前だとは聞きましたが、まさかあの土屋君とはつゆ思わず、向こうも(宮崎医科大学の)病理教授があの住吉とは思わな一度だけ声を掛け合ったことがあ利紀について語る住吉昭信(鹿児島県伊佐市〈旧大口市〉の自宅にて)116

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