【絆】土屋利紀の肖像
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「A、B、Cのランクに分けて付き合いなさい」BH友人、CH知人。それぞれ付き合いの深度は違う。ただ、利紀は柔軟性のある人間だった。「ABCの順番は、時によって変わることもある」利紀は出会った人々を虜にするカリスマ的な要素がある。「オlラがあった」と誰もが認めている。わゆる「人たらし」であった。その交際術について、次のように言っていた。ある意味、功利的な考えのようだが、誰でも無意識にそのような行動をとっている。例えばAH親友、AがCになったり、を考えれば、こういった交際術は必要だった。同級生、医師仲間、馬仲間、ゴルフ仲間、麻雀仲間:・。幅広い社交性は「寂しがり屋」の裏返しかもしれないが、宮崎に進出してまもなく、旧友交歓するのは住吉昭信H鹿児島県伊佐市(旧大口市)Hだ。鹿児島県立大口高校の同級生だった。住吉は利紀が宮崎に進出した五年後の一九七四年、国立の単科大学としてスタートした宮崎医科大学多彩な交友CがAに変わったりすることもある。利紀の人脈の広さ、社交性、そして真の友第四章雄飛編し、115

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