「県北の人たちは辛抱強く、人柄がいいと聞いている」畦地はそういう思いで、宮崎市だけでなく、募集の地域を広げたばかりだった。病院で働きながら准看護師の資格を取り、利紀の母、美代や利紀本人を最後まで看護した。吉田は利紀が入院していたときのエピソードを話した。「先生はお肉が好きでした。病室で焼き肉をしたことがあり、部屋中匂っていたこともあります」コンタクトレンズの縁から長いつきあいに接着した畦地は、利紀についてこのように評した。「人の悪口を言わなかった。愚痴を言わなかった。私たちがそういった話をすると、もうちょっと楽しい話をしようじゃないか、とよく言われました」畦地は、利紀の人間的な魅力をこのように語った。土屋コンタクトレンズセンター(1973年)114
元のページ ../index.html#120