【絆】土屋利紀の肖像
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「フロントからナイト(当直)までしました。いろいろと勉強になりました」ホテル経営に危機がなかったわけではない。かつて、食の庖「神楽」があった。また、パーもあり、宮崎市内のパlで引き抜いた男を帝国ホテルに修業させたこともあった。ある意味、ビジネスホテルとは不釣り合いの豪華さだった。「土屋先生は人を集めたパーティも好きで、そこを社交場にしたかったのではないか。庖長の給料も非常に高く、あれじゃ道楽ですよ。うまくいくのかな、と心配していました」利紀と親しかった実業家はこのように外部から眺めていた。ほどなくして、閉じた。ホテルは、二000年に総工費七億円で建て直しを行い、現在、八階建てで、百二十五室。支配人の克博の携帯電話には毎日、稼働率の報告メールが入る。「稼働率は九十七パーセントです」グループ内では優良企業に成長している。地下にフランス料理屈「ロlゼンプルク」と和レストラン、和食の庖は第四章雄飛編111

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