【絆】土屋利紀の肖像
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をオープンさせた。その後、増改築し、地上八階、地下一階、従業員数九百人。最盛期には宮崎県内に九つの支屈を有し、年商九十億円を数え、県内一のデパートに育てた。立身出世のシンボル的存在だった。「利紀さんと福一さんはとても親しくされていました。都城の姉(多恵子)の実家に行かれた折には必ず福一社長のところへも顔を出されていました」多恵子の弟の大浦福市はこのように話した。利紀は妻の叔父というだけでなく、その経営術に関心があったことは想像に難くない。福市は続けた。「私から見て、土屋先生が福一社長の影響を受けていたことはよくわかりました」福一は商売の神様と言われた松下幸之助の言葉「商人は臨床家たれ」を引いて次のように語っている。「医学に例えれば基礎医学ではなく、臨床医学にあたると言っておられます。その意味では皆、実地の体験を積んだ臨床家でなくてはいけない」社員に対して、現場を大事にする「臨床家」であ第四章雄飛編大浦呉服庖(1929年)。福一(右)、菊蔵(右から2番目)107

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