土屋利紀が生前に自宅で飼っていたシュパlドのラッキーが庭の中で陽射しを浴びている。「もう十四歳です。人間でいえば高齢者です」こう話すのは利紀の妻、多恵子の弟の大浦克博だ。七年ほど前から夫婦で犬の世話をするのが大変になり、手放すことにした。ラッキーは宮崎県都城市の克博の自宅に預けられた。利紀と多恵子の結婚の経緯については第二章で簡単に触れている。大浦家、そして都城大丸の血が人材、経営を含めて流れ込んでいることも確かだ。都城大丸は多恵子の叔父である大浦福一が一代で築き上げた。福一は高等小学校を卒業後、呉服屈に奉公し、一九二九(昭和四)年、二十三歳のときに「大浦呉服店」を立ち上げた。八坪の小さな庖で、大八車で行商しながらお金を蓄え、少しずつ都城の中心部の土地を買っていった。「いつか、デパートを建てたい」三越、高島屋も呉服庖系のデパートだ。一九五六(昭和三十一)年に、念願のデパート「都城大丸」宮崎グリーンホテル106
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