【絆】土屋利紀の肖像
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「あのう、先生、夜眠れないんですが:・」「眠れなくて死んだものはいない」やさしい先生。これはスタッフ、患者の総合評価ではあるが、病状についての変な、過度な希望はもたせなかった。ごまかしはしなかった。「患者さんの回復はのぞめなくても、現状のままで希望を持って生きていくには、どのようなことをしたらいいか、など丁寧にアドバイスをしていました」人生相談でもあった。一日、数百人の患者をどのように診ていたのだろうか。利紀は机の端に置かれるカルテの山をちらちらと常に見ていた。その山を見て、時には聖徳太子のようなことも行った。聖徳太子には十人を相手に、それぞれの話を聞き分けた、という伝説がある。「先生(利紀)は同じ症状の人、例えば結膜炎の人、七、八人を一緒に集めて診察していたことがありました」これは看護師の語る土屋伝説である。また、アピール性も施している。手術した患者は担架に乗せられて手術室を出て、二階の病室へ。いやがうえにもその様子は待合室の患者の目に入る。臨場感あふれる演出である。こう言う医師仲間の話もある。「その道には『神の手」と言われる医者がいる。その人たちを東京などから呼んで実際に、手術させていました。技術力アップのための招聴もあったのでしょうが:・」このようにして土屋眼科は徐々に患者数を伸ばした。それは経済的な余裕もできたということだ。宮崎での基礎固めができた。一九七三(昭和四十八)年、グループ拡大の一歩を踏み出した。第四章雄飛編105

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