に、診察室、手術室。左手手前には二階への階段があり、その横にはトイレがあった。二階には、入院室が七部屋あった。畳敷きの十九床。ほかには入院患者に食事を出すために妻の多恵子が忙しく立ち働く調理室あった。利紀の自宅も同敷地内にあった。診療時間は一応、午前八時から午後五時までだった。「でも、先生が六時、七時まで診ていたので、私たちも残っていました」午後十時までの夜勤当番のローテーションもあった。それ以降の深夜は一階の寮に寝泊まりする看護師が電話などに対応した。急患があれば、寮生が利紀へ連絡した。利紀は自宅から裏側の狭い通路を通って、診察室に入った。父、勇満の教え通りに二十四時間体制だった。河野は物事をはっきりと言う性格で、利紀と大声で言い合うことも少なくなかった。「患者さんの手前、私の顔を立ててくれ」利紀は半ば冗談気味に、河野に頼むことがあった。河野は一度、あった。実習生と検査室でおしゃべりをしていたときだ。「うるさい。静かにしろ」こういったことはあったが、世話した。「土屋夫妻に大事にしてもらった。その思は絶対に忘れない」誰もが口にするように土屋眼科を影で支えたのは妻の多恵子だった。多恵子は京都女子短期大学で栄養士の資格を取っていた。入院患者の食事は多恵子が取り仕切った。河野は吾一史ノ。利紀はとにかくスタッフを大事にした。利紀から大きな声で叱られたことが河野は最晩年まで利紀を看護、第四章雄飛編103
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