【絆】土屋利紀の肖像
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宮崎に開業する前年に医学博士号を取得した。学位論文はである。デパート「都城大丸」の一族である多恵子と結婚、博士号も取り、んだ。すべての準備を整えた。満を持しての宮崎進出だった。宮崎市の土屋眼科医院は宮崎県立病院の近くにある。いわば、競争相手、それも看板も信頼も大きな総合病院の眼下に堂々と開業している。常識的に考えれば、避けるべき相手だ。そこが利紀の知略でもあった。その理由の一つを沖田は利紀から聞いている。「県立病院は待ち時間が長い。待ちきれない患者さんが来る」利紀自身の言葉を引こう。「県病院に近い方が患者さんの紹介などに都合がいい。内科的あるいは外科的な疾患があったり、の場合はそういう処置のできる病院が近くにあった方がいいと考えたんです」患者の流れと県立病院とのタイアップも計算した開業地の選択だった。「大口時代の職員も数人一緒に連れてきました」その一人が沖目だった。沖田は、大口の眼科医院を継いだ利紀の弟、に半年問、大口に残った。「日本脳炎ウイルスのマウス眼球内接種」西都市の出張診療で患者も抱え込利史へ事務業務を引き継ぐため緊急第四掌雄飛編101

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